きみのリラックスポイントを忘れるな←
私は山形の田舎で
育ってね。
小学生
低学年の時、
一緒に
遊んでいる子の
友達のお母さんが、
『お利口さんにしてないと、
「仙台のおばちゃんの家」に
連れていかないよ?』と。。。
それを聞くと
声が枯れるくらい
大泣きする
お決まりの
パターンがあったんだよね。
その言葉の意味には、
仙台で
「おもちゃ」が
買ってもらえないかも
しれない事を意味している。
山形の
田んぼの真ん中で
育った子どもは、
仙台には
当時、
山形の子供を
狂わせるくらい
熱狂的に
してしまう
おもちゃの
すばらしい品揃えが
ある事も
私は知っていた。
その時の私は
街が好きとかの
概念はまだないよ。
大先生は、
仙台で仕事を目指していたので、
そこそこ
仙台には来たような気がする。
それと、
仙台での
大先生の
お決まりのパターンは
一般の本屋で
取り扱ってくれない
学術書的な物を
探すのが好きだったのかな?
(小学5年くらいまで
それは続いたのかな)
私が、
仙台が
「仙台」だと
認知したのも、
仙台への
特殊な感情を持ったのも
じっさいに住んでからだった。
(高校から)
住んでみないと
分からないよね?
この良さは。
山形の
田舎者時代は、
街へ引っ越しする前の
ビンコ先生と同じように
街に住む事を
不安に思っていたよ☆笑
ね?
住むと分かるんだよ、、。
この空気感の良さが。