日々の想いが
今のきみを形成している←
非社会性は
死期のファーストステップだと
私は定義する。
もちろん段階はある。
それと、
どこで表現されるかだ。
本人以外の
関節で表現されたりする。
例えるならば、
子供の様子が
おかしい場合は
親を見れば良い。
親に心当たりがなければ、
ジジババを見れば良い。
非社会性の
根源と思われる所に
当たるわけだ。
(きみは接触厳禁な所)
本人発祥か。
関節か。
残念ながら、
素人には見抜けない。
(木を見て森を見ず)
それは、
全体眼が必要に
なるからね。
でも、
難しくない。
『お姫様ごっこ』
将軍様に
昨夜電話で
お話ししてました。
私は
幼稚園に入ったばかりの頃、
近所のお姉さん達に
面倒を見て
もらっていました。
ある日突然、
お姉さん達は
玄関の前に座っているという
謎の遊びを
していました。
『お姫様ごっこ』
それは、
白馬の王子様を待つ
という、
ひたすら
玄関に座っているという
遊びでした。
田舎道を
たまーに
通り過ぎるジジイを見ながら、
「アレは違う」と
品定めをしている
女子的遊びでした。
配達員の
ジジイが来て、
「やっぱりアレも違う」という
空気感が伝わってくる感じでした。
そのうち飽きてきて、
そこら辺に生えてる
草を編んで
首飾りや
髪飾りを作って楽しんだり、
そんな事をしながら
白馬の王子様を
ひたすら
待っていました。
そのうち、
お姉さん達は
1人だけいる男の私に
疑問を持ちました。
そして、
否定される事になりました。
それを見て
可愛いそうに思った
隣の家のお姉さんが
「ひできちゃん(私)にも
王子様来てくれるよ!」と
ガチで
励ましてくれました。
私は
嬉しかったです。
長い間待っていた
気がします。
将軍様が
現れました。
とても
待ちました。
私は将軍様へ
言っています。
来年籍入れようと。
『お姫様ごっこ』
この話は
将軍様が大好きなようです。