きみの
内なる謙虚心は、
学びに向かう。
年末のくせに
仙台駅
人多くない!?
不況なのか、
上のカンバンが
白くなっちょる。
以前の仙台は、
年末年始になると
駅周りの人が居なくなってた。
(私が高校生の時)
んで、
お昼は
もちろん半田屋!
(最近半田屋に、
高校1年生の時
席が後ろだった野郎がいて、
良い
思い出も多く
話しかけたいんだが
過去に返りたくないので歯がゆい)
今の私は
こんな感じだが、
昔の私は、
ネクラ全開だった。
(高校入る時で、
私の雰囲気は暗く
運動も勉強も
ビリけつだった!
だからね、
この写真は
人に見せれるもん
じゃねーよ。笑
私のネクラ時代の写真を
和子さんが取って
置いたので
しゃーないわ)
高校生から、
仙台で1人で生活してきて、
(和子さん無しには
何もできなかった)
当時の友達や彼女、
とにかく
人さまに恵まれたと
思う。
(何もできない私を
不備に思ったのだろう)
人さまが私を
励まし、教育し、
教養与えた。
だから
今の私は
少し
まともになっただろ?
ほんと
全て
人さまの
おかげだと思う。
『楽観と一人の時間』
大人になったきみは
気がついたら
物事を否定的に見ている。
忙しいから、
もう年だし、、
頭痛いし、
旦那うるさいから、、
クソジジババいるから、、
いくらでも
思いつく
ネガティブ材料を
並べては
新しい流れが
入って来ないように
してしまう。
これじゃ、
きみの
健康で明るい
人生の方向性が取れない。
きみは、
きみが若かった頃を
思い出せないのか?
今よりずっと
楽観的に
事を行えたはずだ。。。
わざわさ
否定心と
忙しさを増やすのは
ジジババのなす業である。
それと、
一人の時間に関して。
主婦業を
苦労なされてる
崇高なきみは、
なかなか自分一人の
時間を取れないでいる。
あれやこれやで
、、
ハイ!
一日が終わってしまう。
自らを非常に
持ちにくい。
そんな事してると
チクショースイッチを
押してしまうことだろう。
私が提唱したいのは、
「一人の時間」とは
「頭が一人の時間」の
提唱で、
(自らで、
意識的に創れる)
物理的条件を超えた所に
(精神を囚われない)
本当の静けさや、
きみ自身が存在するもので、
(買えば良い
食えば良い
クソ旦那居なくなれば良い
じゃなくて。
そもそもが、
物理的条件に
頼るものでなくて
おのれのロジカルの成長)
難しいけど、
時間かかっても
コレを理解できないと
あのやろこのやろを
永久に「負」を
生産してしまう。
意識的に
頭の中の
人を出さないと
脳内で
野放しになる習慣が
つくだけだ。