きみの
内なる謙虚心は、
学びに向かう。
『言ってへんがな!』
仏教には
触れたくない事だが、
きみへ
正体を明確にするために
調べ上げた。
できる限り
簡単に記する。
きみの
日本仏教に
関してだ。
整理していこう。
きみの
日本仏教は、
釈迦(ブッダ)が
始まり。
アホみたいに
ナンマイダーナンマイダー
言うてはる
「般若心経」
(全ては空である)は
釈迦が作ったものではない。
弟子シャーリプトラとの
会話集である。
般若心経の内容は
「全ては空である。
と言う事」
仏教は、
インドから中国、
そして日本に来るまで
不純物がたくさんついた。
(仏壇だの
墓だの
お経唱えろとか
昔から
坊主の回収に
都合の良いものへ
変化させていった。
そもそもの釈迦の教えは
「全てに依存しないという
概念だったはずなのに」
営利なクソ坊主と
努力も
学ぶ事のない民衆が
誤りと堕落の方向性をとった)
言わば、
きみたちは
仏教でもなんでもないものを
やっているに過ぎない。
釈迦は依存しろとなんて
言ってはない。
むしろ逆だ。
般若心経の
中身も知らないクセに
変にありがたがって
写経書いたり、
「ナンマイダーナンマイダー」やってる
うすらボケに過ぎない。
釈迦は単なる
道徳哲学者で
西洋哲学者、
アリストテレスとかと
同じ領域の
「単なる人だった。」
何か魔法を使ったりの人では
なかった。
釈迦は、
病気を
鬼や悪魔と表現したり、
悪意(自我)の気持ちを
赤龍、青龍と表現したり、
例え話に使っていただけ。
特殊能力があったとか
そう言う事はない。
ただの人であり、
最後の
長ったらしい言葉にも
(法句経らしい)
道徳哲学しか
言ってない。
頑張り過ぎる事も
リラックスし過ぎる事も
極端な事は、
悟りをひらかなかった。
(弓矢の弦で表現した)
あとは、
依存するなよって教え。
(嫉妬、強欲、名誉、執着)
そんな感じの哲学を
説いていたはずの仏教。
バカ達は、
いつまでも
仏壇や過去の人に依存し
墓をつくり、
バチが当たるからと幻想をたれて
「ナンマイダーナンマイダー」
やってるだけ。
釈迦は
そんな事
『言ってへんがな!』
きみは
偽物の中で
縛られて生きてきたのだ。