『本当にきみが主人公の人生なら、
きみ自身と向き合う事』
令和時代は
コミュニケーションが
減ったとはいえ、
人の事が気になる
病気の人ばかりさ。
(夜中も自分以外を
ずっと見てるんだ)
なんで頭が
うるさいのかは、
自分以外を考えている。
(他人や自分以外を
見れば見るほど
思考はブレる。)
ブレの集積が
思考停止へ。
思考が、
一瞬でも乱れたり
揺れただけで、
人は希望を
容易く見失う。
(あれ?なんだっけ?
いつかやろうへ変換する)
思ったのは、
忙しいきみは
そこが能力の限界点だな。
だって、
常に
技術や能力を上げ
(自分が生き生きする方角の模索)
人生は
向上していくものだし
より良くなるものだからね。
忙しい人は
改良改善はない。
それ以上は
望めないって事だ。
自分は
誰よりも忙しくて
ツライツライと。
んじゃ、
そこまでだ。
生命が躍動に満ちる過程では、
時として
とても
苦しかったりもする。
けど、
それを乗り越えては
更にきみは進化する。
これが生命の営み。
(会社なら企業努力だ)
いったい
誰の人生だ?
きみは
誰と
向き合っているのだ?
きみの物語の
主人公は
どこにいるのだ?
きみは
いったい
どこへ行ったのだろうか?
人生はきみのためにある←
ありがとうございます!
愛を込めて☆