『子供のためなら
ヨッコラショ。』
子供のために
人間の限界を
超えてしまった
カーチャンのきみは多い。
全ては
愛する子供のために。
全てを捧げてなお、
捧げ尽くす母性は
究極的な善だ。
しかしながら、
やりすぎ
心配し過ぎ
構い過ぎは
「負」にすり替わる。
愛するが故に
子離れできなくなることは、
子供が
大人になる機会を
(社会に適していく)
ぶち壊すだろう。
(自分で考える能力を
壊してしまう)
あの子は
ダメな子だから、
私がめんどう見ないと。。
そんな風に
いつまでも
子供のままで扱うと、
子供もそのような
次元から
抜けれなくなる。
かわいいのは分かるが、
いつまでも
強制的にかわいい状態に
させてしまうと、
互いに
実りのないものに
なってしまう。
きみの
子供は
永久にかわいいからこそ、
どこかで
大人を教えるのが、
またこれも愛だ。
(親離れ、子離れ)
互いの成長のために。
『人生はきみのためにある←』
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