最悪の最悪、
物事の判断に
迷った時は
人としての
善悪で判断すると
間違いないと思う。
(正しい判断とは
体裁でも、金でもない。
自分さえ良ければでもない。
人生の真実とは
そんな
都合良く思っているような
様相を呈してはない。)
第三者から見ると、
「こうしたら良いじゃん!」と
簡単に分かるけど、
実際問題、
きみが
当事者になってしまうと
そう簡単に
物事の判断ができなくなる。
で、
この話は
利己的な生き方が強いと、
この善悪の判断も
利己的な範疇の正義になるので
トラブルが起きると思われる。
普段の心が、
自分だけ
よかれ主義では
さらに今度関わる人を
幸せにしてはあげられない。
人を幸せにしてあげられない人が
対人運もクソもないと思うぜ。
自分がよかれではなく、
相手がよかれだからね。
経営も同じ事だよね?
で、
ちょっと話は変わって、
法律を守れ!ときみへ
言ってるのは、
法律を守れない事は
「大切な人を守れない」と
言う事と
同義語であると。
(本当の誠実さとは何か?
本当の愛とは何か?
本当の相手の安らぎとは何か?)
だからこそ、
基本ラインを逸脱することは
人としての
信頼性に欠けてしまう。
利己を満たす事で
いっぱいになった時
人は法を破るのだから。
(ルール含め)
この人
良い人なのか?
そうでないのかな?
そこら辺の判断は
社会で長く生きた
大人になったきみでも
難しいと思う。
けど、その人の
普段の倫理観や、
利己的な部分で
人格や人間性が分かるはず。
(人の心が乱れた時
本性が出やすいのは確かだ)
良い人は、
変動が少なく
最後まで良い人だよ。
最初だけ
良い人は、
良い人ではないよ。
良かったり
悪かったりする人は
他人様の
心までも強く乱すので(害すので)
ある意味最悪だ。
悪い人なら悪い人で
分かりやすいから
まー良いんだ。
(シンプルに離れれば良いのだから)
口だけ立派、
自分は何も努力せずに
表面や体裁だけ語っても、
真実にない上に
進化発展もない。
それは、
もうその人の人生で
すでに
真実を物語った。
人は
表面では分からないよ。
私の
尊敬していた先輩は、
悪役で
まじで怖かった。
でも、それは
単なる悪役の役柄に
(プロフェッショナルに)
徹していただけで、
実際は、
私のような格下の者にも
分け隔てなく
すごく優しかった。
だから、
当時の記憶で
先輩はかなりカッコよかった。
この話から、
表面で判断したら
真実にない事の
例にはならないかな?
実はもっと深いの。
人は
感じの良さ以上、
物事の倫理観や
道徳心が備わっていることは
長い目で安心してみられるとこを
再度評価しても
良いんじゃないかな?
ただの感じの良さは、
正義を守るとは限らない。
耳障りの悪い厳しさは、
真実を語る
勇気を出した優しさの可能性もある。
非常に迷う所だけど、
人としての
善悪で判断すると
誤る事はないであろう。
(利己的な処には、
善も安心感も真実も
明るさも希望もない。)
人生はきみのためにある←
ありがとうございます!
感謝しかございません!!