きみは
世間体を
捨てられるかな〜?
そもそも完璧なんて
無いもので、
それを
求めるのは違うよ。
あくまで、
それぞれの主観であり
ある種の
芸術鑑賞に過ぎないよ。
例えば、
誰かの正解は
誰かの不正解だからだよ。
誰かの不正解を
気にして、
自分に厳しく
躍起になってはならない。
(パーフェクト根性)
きみを
否定する流れに
わざわざ合わせるなど、
ご法度だ!
『間違いは誰にでもある』
なかなか
治せない事もある。
知らず知らずに
やる事もあるし、
知らず知らずを
続けた場合、
悪意と
同等の事象を呼ぶけどね。
分かってて
改善できない人もいるし、
悪意性が混ざってる
場合もあるかもしれない。
ちなみに、
無自覚の悪意は
非社会性に属する所だ。
(負にひっぱり続けるからね)
人生は
挑戦ありきだとしたら、
間違いの数は
多くなるのは当然。
つつがない(何事もない)
人生を求めるのは、
ボケまっしぐらだと
思うし、感動すらない。
『間違いは誰にでもある』
その場の
完璧を求めなくて良い。
きみも
相手も
生きづらくなる。
効率の良さの追求は、
個人の心を粗末に扱い、
精神的に
非効率だったりする事もある。
ずっと続く
安全な方法なんて無いよ。
常に
バランス調節しながら
適応してゆく。
(学び続ける事)
人生に
「聖杯」はない。
(永久に約束された勝利)
だから、
試行錯誤する。
試行錯誤を繰り返し
おのれ(きみ自身)に
なってゆく。
『間違いは誰にでもある』
我が
子供と言えど、
考え方は
違うのだ。
それを
自らと違うから、
ダメな子カウントしちゃ
いけないよ。
夫婦ですら
近過ぎて見えないのに、
指摘アタマは
どこまでも行ってしまう。
『間違いは誰にでもある』
きみも
きみの周りも
生きやすくなりますように。。