まるで
七五三じゃねーか。
衣装を着せられてね、
(早朝、式場に行って来た)
コレで、、、
ええわーなって。
帰りに
そば食べて。
ひどい雪を予想して
足ぶみしていたのだが
大丈夫だったので、
式場に行く事を
決行したのよ。
(予約入れようと
してくれたきみ、
ごめんね!
ありがとう!)
『恥ずかしながら』
仙台から
離れることが
イヤイヤヨー!になったりする。笑
具体的には
書かないのですが、、。
地元に帰る度に、
私がやってきた
これまでの奉仕を、
(あっちこっち、呼ばれたり
ひっぱられたり、頼まれたり)
やはり将軍様は
見抜いていたので、
無理をして
欲しくなかった事を
含め、
見事に
ご指摘されました。
(私を息子のように
想ってくださります。笑)
将軍様は
私に勢いで
それを言ってしまって
後悔なさってましたが、
私は将軍様に、
『イイネー!』
『その通りだねー!!』
って答えます。
(的確だったので
気持ち良かったし、
固定観念を外してくれます)
私の提供は、
特に見返りを求めないで
やっていた所が多々あったので、
無慈悲にされる事もあります。
(その事に
将軍様は火が付いて
しまったのでしょう)
無慈悲にされても
私はそれでも良いと
思っています。
何もいらないし、
どーでもいいのです。
それは、
「人としての心の道」を
自分なりに歩きたかったんです。
私も
世に甘えてきました。
世の中の人に
たくさん心を
提供されました。
たくさんの人々に出会い
また
たくさんの人々に
優しくされてきていた真実が
当時の甘えん坊の私は
分からなかったのです。
分からないならば、
その善意を無慈悲に
してしまう。。
だから、
きみ以上に
人生をさまよったり
寄り道が多かったのだと
思います。
それは、
バカが受ける
当然の報いであり、
必ず現実を知るような
事象は起こるのです。
そして、今度は
私が心を提供することが出来る
大人になることが
できました。
その善が
行き過ぎないように、
相手のためにならないようなら、
考え改める事をしなければ
なりません。
それは
もちろん
人様のために。。
その定義は
分からないけど、
明らかに怠惰に向かう事が
正当化されたり、
人の平和を犠牲にしてもなお、
幸福を得ようとする
非社会性に関しては
いばらの道を
歩くべきなんだと
思います。
これもまた
愛だとも善だとも
言えると思います。
きみは
気がついてないだけで、
実はたくさん
優しくされてきていたりするんです。
「人生はきみのためにある←」
ありがとうございます!