昨日の話の中で、
これは
やった方が良いのか?
やらない方が良いのか?
「一緒にビジネスしない?」と、、。
この時点で
私としっかり接触してるきみは
異変に気がつくはず。
「人生はきみのためにある←」
他人主導である時点で
違和感だ。
そもそも
それは
きみ主導の物語ではないよね?
きみへ
もう一度言う。
「人生はきみのためにある←」
これは
ワガママや
自我を指してはない。
この人生とは、
きみ主導の物語であり。
きみの見える世界も
感じる世界も
全てはきみの物であり、
誰にも犯す事はできない。
精神の健康、
精神衛生の健全。
選択の自由。
コレを犯す事は
時代と
逆行している。
まー、
この様な状況を作るのは
田舎もんだけどね。
『純粋なつながり』
友達だから、、
かつて、
仲良かったから、、と、
真実を見失ない
迷っちまう。
ただ純粋に
友達関係でいたかったのに。。
(この時点でクソ野郎だと
気がつく)
それはビジネスか?
そもそも
他人主導のビジネスが
したかったのか?
流されてないか?
寂しさや、
心のスキマを
突かれてないか?
純粋な繋がりを
求めるきみの
方角は
そこでは無い。
きみが主人公で
きみに決定権があり、
その上でのビジネスなら
まだよかろう。
『純粋なつながり』
信用、
信頼とは何か?
腹から
信用できるって
なんだろう?
それは、
他人にばかり
求める事じゃなく、
自分自身
しっかりした、
「人と成り」をしてないと
いけないのだよ。
見抜けないし、
いつまでも
他人主導の奴隷になっちまう。
ビジネスは
きみが
社長になれば良いこと。
そのような
努力を嫌うから、
ぶら下がる事に
抵抗がなくなっちまう。
クソボケが!
『純粋なつながり』
純粋なつながりを
続けるには、
親しき仲にも
礼儀あり。
人の精神衛生を汚したり、
自我を満たすために
巻き込むものではない。
それは、
明確に
「クソである」
「人生はきみのためにある←」
ありがとうございます!