カーチャンのきみも、
社長のきみも、
相手のために
頑張る気持ちは
美しいが、
やり過ぎることは
「怠惰」や「甘え」、
自分でやるという
自立のめばえを
破壊する。
これでは、
相手のための
「善」とは言えない。
すなわち、
『相手のためにやり過ぎる事は
「善」ではない。』
また、
きみの頑張りや
サービスに対して
怠惰の甘えを
発揮する
馬鹿が発生してしまう。
(非社会性)
馬鹿にエサ(きみの命)を
与えるべきではない。
より馬鹿になる。
「善」とは、
相手を
「甘え」や「怠惰」へ
向かわせるものではない。
そして、
「善」とは
相手の
自己中の道楽のために
きみを
犠牲に
縛るものでもない。
馬鹿は
どんなに苦しくても、
結局は
自分の足で歩かなくては
ならない人生なのだから、、
きみはいつまでも
甘やかしてはならず。
たとえ、
甘えたいんだと
暴れたとしても、
人を犠牲にして
歩む人生は
良くないんだと、
配慮するのも
「善」とも言えよう。
「人生はきみのためにある←」
ありがとうございます!